SFの世界観 アンドロメダ VS スタートレック

アンドロメダスタートレック
どちらもジーン・ロッテンベリーの脚本なのに、設定の違いがおもしろい、
(テレビドラマを見ながら書いているだけで、調べているわけではないので間違っていたらご指摘ください)

スタートレックでは、宇宙大作戦新スタートレックボイジャーDS9エンタープライズとすべてで「転送装置」が大活躍しているのに、アンドロメダでは転送装置はない。地上に降りるにもすべて宇宙船で移動している。

侵入警報が鳴っても、それは転送ではなく、実際に機体にとりついて侵入する。ここらは、SFとはいえできる事とできない事がはっきりしているみたい。
スタートレックでは当たり前であったシールドという考え方もかなり違う、

なんだか、スタートレックでやらかした、とんでもない絵空事を訂正しているみたいな設定がアンドロメダではないかと思えてしまう。

スタートレックで順を追ってみれば、どんどんと新しいものを取り込んで、自由度を拡張して、それに頼り切ったストーリーになっていった気はする。
転送装置、ホログラム、遮蔽、ワームホール
いろいろと、深みは増したし、面白くもなったんだけど、安直さは否めない。

まるまるホロデッキでたけ進行する過去の話だとか、ワームホールに住む生命体などやり過ぎ感が満載。

どちらも、コンピュータのインタフェイスが似た形で、パネルにタッチするだけなのは同じだけど、さらに、アンドロメダではバーチャル空間に入ってコンピュータと対話するシーンが追加されて、いいんですよねーロミとの対話が

どっちがいいではなく、ジーン・ロッテンベリーの進化ではないでしょうかね、
スタートレックでやりすぎた機能、技術を封印してアンドロメダの世界観を作り上げたのではないでしょうか。